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ジャーナリズムは戦争に向かう道を止めよ!

東京法律事務所9条の会宛てに、法政大学名誉教授の須藤春夫さんから手記を頂戴しましたので、ここに掲載します。

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ジャーナリズムは戦争に向かう道を止めよ!

                                        須藤春夫(法政大学名誉教授)

 安倍政権は、海外で戦争のできる日本へと急転換させつつある。立憲主義を破壊して時の首相の意のままに戦争ができる体制づくりは、安倍首相が掲げる戦前の「日本を取り戻す」ことにほかならない。戦後民主主義が最大の岐路に立たされている。しかも国粋主義的な右翼の潮流と結びついて「戦後レジームの脱却」を目指しているだけに、国際社会からの疑いの目と非難をもたらしている。日米同盟を「血の同盟」にすることこそ対等な関係になると勝手に思い込み、米国に付き従って戦争に突入するとなれば、日本に計り知れない損失をもたらすだろう。

 安倍首相がここまで強気なのは、アベノミクスの幻想を振りまいて一定の内閣支持率を得ていること、国会での自公体制に加え保守勢力の議席数が圧倒的に強いという背景があるからだ。しかし、それだけではない。新聞、テレビの全国メディアが、安倍政権の国家主義的政策をめぐって評価が二極分化し、その間隙をぬって推し進められている。安倍政権によるメディア支配が功を奏しつつあるといえよう。安倍政権の「戦争する国にづくり」に反対し批判する朝日新聞、毎日新聞、東京・中日新聞に対し、賛成・推進する読売新聞、産経新聞という構図だ。テレビニュースの内容から見ると、前者はテレビ朝日、TBSが位置し、後者はNHK、日本テレビ、フジテレビという関係だ。

 さらに、朝日新聞の「従軍慰安婦」吉田清治証言の取り消し問題、福島第一原発爆発事故の吉田昌郎所長調書スクープにおける「見出し」問題、池上彰氏コラム掲載拒否問題が起こり、批判派の有力メディアの信頼が失墜して政権に有利な環境をつくってしまっている。

 それにしても、朝日新聞へのバッシングは目をおおうばかりだ。安倍首相と価値観を同じくする読売、産経は、競争相手の瑕疵につけ込み自社の論調があたかも正当性を持つかのようなキャンペーンをはり、経営的な利益に繋げようという魂胆がみえる。しかし、両紙のめざす日本と国際社会の将来については、軍事的抑止力中心の中で平和で豊かな生活のありようをどのように展望し、言論メディアとして何をなすべきかまったく見えない。朝日を潰すことがもたらす多様な言論メディアの喪失にあまりに無頓着であり、自分達の行為が自らも責任の一翼を担う言論表現メディアの存在否定につながることに気がつかない愚かさがある。

 自らの社論が時の政府の価値観と同じであるにしても、何が真実かを追究する上で多様な言論メディアの存在がいかに大切であるか、知らないわけはあるまい。権力監視の役割を捨て権力と一体となることに社運をかける姿勢は、戦前のようにメディアが国民を戦争に巻き込む道を繰り返すことだ。大事なことは、朝日の失敗を言論界全体で学び、自らの活動に生かしていかねばならないはずである。

 大手メディアに現れている危機的状況は言論空間全体にも反映し、かつてない危機が進行している。ネットを使ったメディアバッシング、ヘイトスピーチは、街頭でのデモンストレーション行為と相まって異様なほどの空気を醸し出している。この空気は、安倍首相の発言とそれに同調する大手メディアの論調が大きな流れをつくり出し、個人や集団レベルでの声となって現れているものだ。いまは朝日新聞へのバッシングと朝鮮民族に対するヘイトスピーチが目につくが、いずれ他の標的にも向かいかねない。沖縄へのオスプレイ配備に反対する沖縄全41市町村の代表が東京でデモ行進を行った際、沿道からは「売国奴」の罵声が飛び交った。すでに芽は現れている。戦中の「非国民」「贅沢は敵だ」などの言葉が異論を排除して全体主義の雰囲気を作り出し、戦争の遂行にはたした役割を想起させる。

 最近刊行された『戦争の教室』(松本彩子編、月曜社)のなかで澤地久枝さんは、大戦中、典型的な「軍国少女」で「神風が吹いて戦争に勝のだと」信じ、母親が生活感覚から「この戦争は負け」と言ったのに「お母さんは非国民だ」と批判したこと語っている。教育とメディアを中心とした国民精神総動員の体制が、戦争を疑いないものとし、戦争に反対する雰囲気を封じ込め、肉親の間ですら異論を許さない状況を作っていったのである。ワンフレーズで相手を攻撃するのは分かりやすいが、多分に情緒的な訴求力が優位にたち合理的思考による行動を封じ込める。このときにも、ジャーナリズム・メディアが真実に基づく報道、真の意味での客観報道がなされていれば、情緒的言動がはびこることは防げるはずだ。

 安倍政権の国家主義への傾斜が進めば、戦争に向けての国民精神総動員運動が起こってこよう。「戦争を止めるには戦争が始まってからでは遅い」と言われる。ジャーナリズムは、自衛隊が海外で戦争をすることのないよう止める役割がある。集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、秘密保護法の施行が間近に迫ったいまこそ、ジャーナリズムは国家権力を抑止するための監視を行い、また、個人の人権を尊重する立憲主義の根本に立ち返り、戦争ができる体制への準備を止めなければならない。

 日本国憲法前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍がおこることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し」とある。戦争は政府が起こすのであり、主権者たる国民は政府を監視して戦争が起こらないよう行動しなければならない。それが、主権者としての国民がはたすべき役割である。実際には、国民の負託を受けてジャーナリズムが政府権力の監視を担う。その結果は、政府の情報を国民に公開することで国民の「知る権利」に応えることになる。ジャーナリズムが戦争を止める倫理感が求められる理由はここにある。<了>
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