スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 核実験を止めさせた女性科学者、猿橋勝子博士のこと


 東日本大震災で福島第一原発が爆発し、日本国民は、広島、長崎、第5福竜丸に続いて4度目の被爆を経験しました。このことに大きな衝撃を受け、暗く重い気持ちでいた私でしたが、放射能に関する科学論文で猿橋勝子博士のことを知り、希望の光を見た思いがしました。

 猿橋さんは、1943年に気象庁に入り、大気中のちりや雨に含まれている放射能物質の研究にとり組んでいました。海水中の微量炭酸を分析するために極微量拡散分散装置を開発し、「微量分析の達人」と言わていました。
 1954年3月1日、米国がビキニ環礁で水爆実験を行い、160㌔離れた海上で漁をしていた日本のマグロ漁船「第5福竜丸」が、「死の灰」と呼ばれる放射能物質により被爆する事件が発生します。このときの水爆の破壊力は、広島・長崎に投下された原爆の1000倍。第5福竜丸の乗組員は、甲板に雪のように降り注いだ「死の灰」を浴び、めまい、頭痛、吐き気、下痢、脱毛の他、手がグローブのように腫れ上がるなどの原爆症に苦しみながら、「死の灰」を袋に保管し、やっとの思いで同月14日に帰港しました。

 この「死の灰」が、微量分析の達人である猿橋さんのところに持ち込まれ、水爆のすさまじい破壊力の実相が明らかにされました。同時に、猿橋さんら研究者はビキニから遠く離れた日本で降った雨からも高い放射能を観測し、さらにビキニの死の灰が黒潮にのって日本近海にたどりついたことを突きとめ、魚も農産物なども汚染されていることを訴え続けました。

 しかし、米国の研究者は猿橋さんたちの放射能測定結果を信用しませんでした。
 日本国内では、第5福竜丸の被爆を契機に、第一回母親大会が開催され原水爆禁止署名運動を進めるが始まっていました。
 1962年、猿橋さんは、日米の海水中放射能分析法の相互比較を行うために渡米。両国の分析測定方法の精度を競い、日本の分析法が米国よりも突出して精度が高いことを証明しました。
 米国の研究者は猿橋さんらの研究結果を認めざるをえず、1963年、米国政府は成層圏内核実験の中止を発表しました。

 事実の力で、核実験による放射能汚染の広がりを白日のもとにさらし、核実験禁止の草の根の運動を支えた猿橋さんの功績に励まされるのです。(弁護士 岸 松江)

参考文献:「猿橋勝子という生き方」岩波科学ライブラリー、「科学する心 日本の女性科学者たち」日刊工業新聞社

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

東京法律事務所憲法9条の会

Author:東京法律事務所憲法9条の会

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
東京法律事務所9条の会
検索フォーム
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。