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シネマカフェ実施!(4月2日)

第1回シネマカフェを実施しました!

「チャップリンの独裁者」をみなで観ました。

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ナチスの台頭に対し、チャップリンが命を懸けて世界に放ったメッセージ。
全く色あせないどころか、今まさに心に響く。

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“In the name of democracy, let us all unite!”
民主主義のために、いまこそ団結しよう!!


【演説全文】
I'm sorry but I don't want to be an Emperor. That's not my business.
I don't want to rule or conquer anyone.
I should like to help everyone if possible, Jew, gentile, black man, white.

申し訳ない 私は皇帝になりたくない
支配はしたくない
できれば援助したい ユダヤ人も黒人も白人も

We all want to help one another, human beings are like that.
We all want to live by each other's happiness, not by each other's misery. We don't want to hate and despise one another.
In this world there is room for everyone and the earth is rich and can provide for everyone.

人類はお互いに助け合うべきである
他人の幸福を念願として お互いに憎しみあったりしてはならない
世界には全人類を養う富がある

The way of life can be free and beautiful. But we have lost the way.
Greed has poisoned men's souls has barricaded the world with hate, has goose-stepped us into misery and bloodshed.

人生は自由で楽しいはずであるのに
貧欲が人類を毒し 憎悪をもたらし 悲劇と流血を招いた

We have developed speed but we have shut ourselves in, machinery that gives abundance has left us in want.
Our knowledge has made us cynical, our cleverness hard and unkind.

スピードも意思を通じさせず 機械は貧富の差を作り
知識をえて人類は懐疑的になった

We think too much and feel too little,
more than machinery we need humanity,
more than cleverness we need kindness and gentleness,
without these qualities, life will be violent and all will be lost.

思想だけがあって感情がなく
人間性が失われた
知識より思いやりが必要である
思いやりがないと暴力だけが残る

The aeroplane and the radio have brought us closer together.
The very nature of these inventions cries out for the goodness in men, cries out for universal brotherhood for the unity of us all.
Even now my voice is reaching millions throughout the world, millions of despairing men, women and little children,
victims of a system that makes men torture and imprison innocent people.
To those who can hear me, I say "Do not despair".

航空機とラジオは我々を接近させ
人類の良心に呼びかけて 世界をひとつにする力がある
私の声は全世界に伝わり 失意の人々にも届いている
これらの人々は罪なくして苦しんでいる
人々よ 失望してはならない

The misery that is now upon us is but the passing of greed,
the bitterness of men who fear the way of human progress,
the hate of men will pass and dictators die,
and the power they took from the people will return to the people,
and so long as men die, liberty will never perish.

貧欲はやがて姿を消し
恐怖もやがて消え去り
独裁者は死に絶える
大衆は再び権力を取り戻し
自由は決して失われぬ!

Soldiers, Don't give yourselves to brutes,
men who despise you and enslave you - who regiment your lives,
tell you what to do, what to think and what to feel,
who drill you, diet you, treat you as cattle, as cannon fodder.

兵士諸君 犠牲になるな
独裁者の奴隷になるな!
彼等は諸君を欺き
犠牲を強いて家畜の様に追い回している!

Don't give yourselves to these unnatural men, machine men, with machine minds and machine hearts.
You are not machines. You are not cattle.
You are men.
You have the love of humanity in your hearts.
You don't hate, only the unloved hate. Only the unloved and the unnatural.
Soldiers! Don't fight for slavery, fight for liberty.

彼等は人間ではない! 心も頭も機械に等しい!
諸君は機械ではない!
人間だ!
心に愛を抱いてる
愛を知らぬ者だけが憎み合うのだ!
独裁を排し 自由の為に戦え!

In the seventeenth chapter of Saint Luke it is written "the kingdom of God is within man" -
not one man, nor a group of men - but in all men - in you, the people.

"神の王国は人間の中にある"
すべての人間の中に! 諸君の中に!

You the people have the power, the power to create machines, the power to create happiness.
You the people have the power to make life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure.

諸君は幸福を生み出す力を持っている
人生は美しく 自由であり すばらしいものだ!

Then in the name of democracy let's use that power - let us all unite.
Let us fight for a new world,
a decent world that will give men a chance to work, that will give you the future and old age and security.

諸君の力を民主主義の為に集結しよう!
よき世界の為に戦おう!
青年に希望を与え 老人に保障を与えよう

By the promise of these things, brutes have risen to power, but they lie.
They do not fulfil their promise, they never will.
Dictators free themselves but they enslave the people.

独裁者も同じ約束をした
だが彼らは約束を守らない!
彼らの野心を満し 大衆を奴隷にした!

Now let us fight to fulfil that promise.
Let us fight to free the world, to do away with national barriers, do away with greed, with hate and intolerance.
Let us fight for a world of reason, a world where science and progress will lead to all men's happiness.
Soldiers! In the name of democracy, let us all unite!

戦おう 約束を果す為に!
世界に自由をもたらし 国境を取除き 貧欲と憎悪を追放しよう!
良心の為に戦おう 文化の進歩が全人類を幸福に導くように
兵士諸君 民主主義の為に団結しよう!

Hannah, can you hear me?
Wherever you are, look up Hannah.

ハンナ 聞こえるかい
元気をお出し

The clouds are lifting, the sun is breaking through.
We are coming out of the darkness into the light.
We are coming into a new world.
A kind new world where men will rise above their hate, their greed and their brutality.

ご覧 暗い雲が消え去った 太陽が輝いてる
明るい光がさし始めた
新しい世界が開けてきた
人類は貧欲と憎悪と暴力を克服したのだ

Look up Hannah.
The soul of man has been given wings - and at last he is beginning to fly.
He is flying into the rainbow - into the light of hope, into the future,
the glorious future that belongs to you, to me, and to all of us.
Look up hunna. Look up.

人間の魂は翼を与えられていた やっと飛び始めた
虹の中に飛び始めた 希望に輝く未来に向かって
輝かしい未来が君にも私にもやって来る 我々すべてに!
ハンナ 元気をお出し!

※http://www.geocities.jp/ryunk/contents/chaplin/last_speech.htmlより引用

次回シネマカフェは10月1日の予定です。
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敗戦前後(高田昭治)

敗 戦 前 後
                               高 田 昭 治
 
わたしは1937年生まれで、77歳になります。

当時、満州国と言っていましたが、わたしはそこで生まれ、父がその満州国の逓信省に勤めていた関係で、当時の新京市(現在の長春市)洪凞街というところにあった官舎に住んでいました。第2次世界大戦に入って2年目の1943年に、近くの春光国民学校(現在の小学校にあたる)に入学しました。この学校は日本人だけが入れる公立の学校だったのです。幼い自分は、日本ではない国で、日本人が我が物顔にふるまい、日本人だけの学校に入るということに全く疑問を持っていませんでした。

思い出すのは、物資不足がだんだんひどくなってきて、スケート靴がくじ引きの配給となり、それにあたった生徒はわずかで、ほとんどの生徒は、冬はスケートリンクになる運動場に椅子などを持ち出してきて、それを滑らせながら遊んだりしていたことです。また、生徒たちを二つのグループに分けての、戦争ごっこ・模擬戦闘を行わせると行った軍事教育です。

そうこうしているうちに1945年の8月になり、ソ連が参戦して侵攻してきたというので、急にあわただしくなりました。父は招集されて通化というところに行き、残された官舎の人々は、上からの命令で疎開することになり、慌ただしく行った先は、奉天(現在の瀋陽)というところで、駅近くのホテルが避難先になっていました。疎開するときは、母は女手一つで自分と弟を連れて大変な苦労をしたと聞いています。

食事は薄いコウリャンのおかゆで、ほとんど皆が下痢状態になりました。7歳年下の弟は、やっと歩けるようになっていたのですが、栄養失調状態の中で、歩けなくなってしまいました。弟はその後医者も見放すほど弱っていましたが、なんとか回復しました。現在は郷里で元気でやっています。ただ、戦後にもう一人の弟が生まれたのですが、母親が栄養不良状態で、最初から弱く、まもなく死んでしまいました。

8月15日は放送を聞くという手段もなく、ホテルの階段の踊り場にぽっダム宣言受諾のことを記したお知らせが張り出され、それを見て涙を流している人もいたことを覚えています。自分は、もちろんその内容を知ることはなく、なにがあったのだろうと思ったのですが、あとから「あれは戦争が終わったという告示だったのだよ」と教えてもらったわけです。その奉天のホテルにいても先行きが見えないということで、いったん、新京に戻ることになり、やっと汽車に乗ることができ、南新京駅というところで下車して、とぼとぼ歩いているところに、一足先に除隊していた父が迎えに来てくれたときは、やっと助かったといううれしさでした。あとから聞いたころによると、父も危うくシベリア送りになるところだったそうです。

進駐してきたソ連兵には程度のわるいものもいて、女性は顔に墨を塗ったり大変苦労したようです。わが家にもソ連兵がやってきて、腕時計を出せなどとやられたこともありました。春光国民学校はソ連軍の宿舎になり、学校は生徒たちの家を回り持ちで細々と続いていました。それも長い間ではなく、学校は不審火で火事となり、ソ連兵は撤退したので、焼け跡の建物の一部を使っての学校再開となりました。

日本人は一斉に失業状態に成り、わが家も道ばたに露店を出したり、なんとか細々と暮らしていました。とにかく、食べることが毎日の課題でした。その年の冬は石炭も入手困難になり、水道も止まって戸外の井戸から水を汲み上げなければならず、寒さで井戸の周囲は凍って、それこそ水くみも命がけという状況でした。

そして敗戦1年後の1946年8月にコロ島経由で日本への引き揚げとなるのですが、この時の思い出も重たいものがあります。この敗戦の前後から、もう少し大きくなるまでの悲惨な記憶が、自分の原点となったと思っています。民衆を苦しみに追いやる戦争を起こさせてはなりません。最近の安部内閣の動きには危険なものを感じます。憲法9条を守ると言う大きな運動で、おかしな動きを封じていきましょう。



日本国憲法(渡辺和子)

                                    
【日本国憲法】 
新制中学3年生の社会科の時間に、緑色の表紙の「日本国憲法」が配られ、それを暗記するように言われた時、ちゃんとここに書いてあるのに「どうして覚えなくてはいけないのか?」とその先生の気が知れないとイヤになりました。今は亡きその先生の「新憲法」を手にした喜びをひしひしと思い、高齢、要介護の身で行動は出来ませんが、話すことは出来るので、「9条の会」の一員として語りかけることを続けています。

【黒塗り教科書】
国民学校に入学し、日本は「神の国」と教えられて真面目に信じていた子供が、敗戦で今まで教えられたことは間違いだと墨を塗らされた時のショックは大変なものでした。人の言うことを自分で確かめなければいられない人間になりました。
(学童疎開のこと、焼夷弾の落ちる中を逃げたこと、ひもじかったことなど色々ありますが、目が思うようではなくかけないのが残念です)

渡 辺 和 子       
 

東京法律事務所9条の会総会のご案内

2015年12月5日(土)13時45分より、東京法律事務所9条の会総会を行います。
今年は、多くの方が国会前に集まり、安保法案廃止を求めました。
初めて国会前に行ったり、パレードをしたママの会の方やSEALDsの方、医療関係者の方をお呼びして、皆さんの行動やその動機、そしてこれからについて色々交流したいと思います。
ぜひご参加ください。
保育室の利用をご希望の方は、11月20日までにお申し込みください。

2015年9条の会総会のお知らせ

2015年9条の会総会申込書&地図

大戦下・十四才の思い出

 大戦下・十四才の思い出
                       上 村  力

昭和二十年二月十五日 飯山地方は昨年暮れからの大雪であり其の日も朝から雪降りである。

村立太田尋常高等小学校の体操場に全校生徒約六〇〇人が集まり壇上に、三月二十日の卒業を待たずにして受持の先生が選抜された七人の十四才の(高等科二年生)男子生徒の送行会が開かれた。私はその団の代表として挨拶を致しました。

何を言って挨拶したかは憶えて居ないが、「甲種食糧増産隊として国のため食料増産隊として頑張って出発します、在校生徒も頑張って下さい」と挨拶をして、六年男子生徒が私達の荷物を橇に乗せて飯山線は大雪のため飯山以北不通になり、飯山駅まで十六キロの雪道を送って下さいました。大雪の連続積雪二米余の雪道を朝八時に出発して午後三時半頃やっと飯山の町にたどり着き、飯山駅から長野への汽車が雪のため更に不通明日開通するとの事、やむを得なく飯山館さんに泊まる事になる。

翌日 飯山線が除雪され(ラッセル車が立ち往生の中人力で)ようやく長野駅から、小諸駅へ小海線に乗り日本一標高の高い小海駅に夜の七時頃着く事が出来た。

私達を送ってくれた橇部隊の同級生は、雪の中死物狂いで雪だるまになって太田小学校へたどり着いたそうです。
子供心に私達は旅行気分で大雪の飯山から寒いが雪の少ない野辺山高原に着き、新天地に降り立ちうきうきの気持ちで宿舎の門を入ると突然怒号が響き「貴様らたるんでいる」と聞こえた途端にホッぺタにピンタが飛んできた、何も知らない十四才の私達に取ってこれはえらい所へ来てしまったと只々おろおろするばかりでした。
朝薄暗いうちの起床点呼、零下二十度の厳寒の中で軍隊同様の訓練が始まるのであります。

宿舎は真中に土間の通路あり藁ムシロ敷一枚 外壁は板張り一枚 雪に吹雪が吹込んで来て外気と同様の気温、約八十坪の通路にダルマストーブが一個で薪は生薪で雪原の立ち木の枝を拾い集めての燃料であり、良く燃えないので煙が立ち込める状況でありました。

戦時下 着る物は木綿が主流で毛糸の暖かい着物がほとんど手に入ない時代でありました。
十四才の私達はほとんど凍傷を患い、歩くと足の指先やかかとが痛く歩行も出来ない状況であり、その上もたもたしていると平手打ちがとんで来るのであります。

軍事訓練と言っても訓練機材ない戦争末期 竹ヤリの毎日の軍事訓練で雪の野原の上の歩行跳び訓練。更に精神訓練は軍人勅語・教育勅語 五ヶ条の御誓文の暗記であります、一人一人復唱させられ暗唱が出来ないと二人一組で対交ピンタ 加減して相手を打つと班長小隊長からの命令で全員での対交ピンタであります。十四才の私達に取って毎日が地獄の用な日々であり、伸び盛り、食い盛りの私達は大豆半分麦半分の食事は、凍傷と栄養失調で次から次へと落伍者が出る始末であり、死亡者も出た程でありました。

厳しい厳寒の地長野県野辺山での訓練も春になり訓練場所が学徒出陣の空き校舎、地元中野町の実業中学校に移転して 六月にはサイパン島が陥落し全島全員玉碲の報がありいよいよ本土決戦への報道が流された。私達十四才の食料増産部隊も沖縄戦線へとの掛け声のもと、軍事訓練が一層気合のかかったものになり、沖縄戦線への選抜隊の編成もされる噂が飛び交うなぞ日増し十四才の小生に取って胸が躍り毎日落ち着かない日が続きました。

幸い八月十三日よりお盆休暇となり、八月十五日の玉音放送はラジオの少ない村だけに、近所のお宅の縁先で聞き何となく日本が負けたとの情報を察知する事が出来ました。
注(衣服にシラミ、南京虫が寄生していて着ていた衣類を脱ぎ、庭先で熱湯の釜で殺虫してから家に入れてもらったそんな帰省の状況でありました。)

私達農兵隊(隊の略称)はどうなるかとの心配がありましたが 一先ず隊へ帰るよう連絡が役場からあり八月二十五日に帰隊し軍事訓練がなくなり、食料増産への日課に戻り隊長、小隊長は学校の先生在職の方々ですので少々の学課も教える時間も出来てきましたが、その方々の説明では三月まで此の隊に在籍せれば中学校一年の教科の課程を修了出来るとの事でした。しかし三月中旬になり隊が解散して役場と学校へ挨拶に行き「只今隊が解散になりましたので帰りました」挨拶致した所 開口一番何グズグズしてたのだ戦争は終ったのになぜ早く帰って来ないんだ、𠮟り飛ばされて私達は取り付く所もなく只オロオロするばかりでした。
事の経過はアメリカ軍駐留に依り学校制度が変わる、君達の行く学校は廃止になるとの事 中学校一年生の課程を修了したと思っていた私達に取って目の先が眞暗になってしまいました。

私はこの時程世の中や学校の先生を不信に思った事はありませんでした。
私達を強性的に農兵隊へ送り出した先生、役場の話であります。

以来 多感な少年、青年期に取って世間に対し抵沆感を強く思う様になるのであります
村役場や学校の先生方が戦争に勝つため国のためと半ば強制的に農兵隊へと送り出して、戦争が終ったから無責任に我々の力ではどうにもならないと言う村役場や学校の先生方を許せない気持ちが日増しに強くなるのでありました。

思い返すと終戦と同時に農兵隊を解放するべきでなかったかと戦後七十年の今日 占領軍に依る学制改革の始まる前に旧中学校に編入出来たのにと今思い、悔しき思い出として残るのであります。

八十四才になる人生。私の生涯を狂わせた少年期十四才の苦しい思い出での記録でございます。
                      
プロフィール

Author:東京法律事務所憲法9条の会

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